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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)760号 判決 1975年1月16日

甲事件原告 岡野虎秋

乙事件原告 岡野きみ

乙事件原告 岡野国雄

原告三名訴訟代理人弁護士 酒井什

山下英幸

原告虎秋訴訟代理人弁護士 水野八朗

原告きみ、原告国雄訴訟代理人弁護士 坂巻国雄

被告 株式会社朝生印刷所

右代表者代表取締役 朝生正夫

右訴訟代理人弁護士 大鐘義男

同 松村正康

被告補助参加人 大東京火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 秋田金一

右訴訟代理人弁護士 加藤了

主文

被告は原告岡野虎秋に対し金七〇五万五三八三円及びこれに対する昭和四七年九月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被告は原告岡野きみに対し金四四万円、原告岡野国雄に対し金二二万円及び右各金員に対する昭和四九年六月二一日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用中原告らと被告との間に生じた分はこれを三分し、その二を原告らの、その余を被告の各負担とし、参加によりて生じた部分はこれを三分し、その二を原告らの、その余を補助参加人の各負担とする。

この判決は、原告ら勝訴部分に限り仮執行することができる。

事実

第一申立

(原告ら)

一  被告は原告虎秋に対し一八七八万二二六九円、原告きみに対し一〇七万円、原告国雄に対し五三万円、及び各金員に対する訴状送達の日の翌日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言

(被告)

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二原告らの主張

(請求の原因)

一  事故の発生

原告虎秋は次の交通事故によって傷害を受けた。

1 日 時 昭和四六年五月一七日午後一時三分頃

2 場 所 東京都台東区東浅草一丁目一四番二号先路上

3 被告車 普通乗用自動車(品川五ゆ一二五四)

運転者 被告の業務執行中の被告従業員内田義光

4 原告車 足踏自転車(以下、原告自転車という。)

操縦者 原告虎秋

5 態 様 原告自転車が右折を開始した直後、右斜め後方から被告車に追突され、原告虎秋は被告車のボンネットにはねあげられ、頭でフロントガラスを割り、路上に転落した。

6 傷害の部位程度、後遺症

(一) 傷病名 頭部外傷、脳震盪症、頭控出血(疑)、前額部血腫並びに挫創、全身打撲

(二) 治療経過

(1) 北条医院 昭和四六年五月一七日から同年九月三日まで一一〇日間入院

(2) 名倉病院 昭和四六年九月三日から同年一二月二〇日まで一〇八日間入院、退院後は昭和四七年九月二日まで通院。

(3) 国立伊東温泉病院

昭和四七年一二月一二日から昭和四八年八月二七日まで二五五日間入院した。

(4) 春日井光線治療研究所

昭和四九年一月一六日から現在まで通院

(5)(イ) 大山医院、(ロ) 真島治療院、(ハ) 大久保マッサージ

(三) 後遺症

変形性頸椎症によって、原告虎秋には肩から指先に至る両上肢の諸関節運動制限、知覚、運動機能障害、両上肢の自発痛、運動痛があり現在では両上肢はほとんど用を廃し、自己の身のまわりのことさえもできないうえに外出には常に介護を要する状態である。少なくとも自動車損害賠償補償法(以下、自賠法という。)施行令別表に定める三級を下らない。

二  責任原因

被告は、被告車を自己のため運行の用に供しているものであり、本件事故は被告車の運行によって発生したものであるから、被告は自賠法三条に基づき、原告虎秋の傷害による損害を賠償する義務を負うものである。

三  損害

1 原告虎秋の損害

(一) 治療費 二三〇万六四〇八円

(1) 北条医院 六九万四五五〇円

(2) 名倉病院 九五万四一一四円

(3) 大久保マッサージ 二三万四八〇〇円

(4) 大山医院 一万五九八〇円

(5) 真島治療院 二万三一〇〇円

(6) 国立伊東温泉病院 二三万三八六四円

(7) 春日井光線治療研究所 一五万円

(二) 入院中の雑費 一一万四八〇〇円一日当り二〇〇円として五七四日分

(三) 入院中の付添看護費 五四万五九五〇円

(1) 家政婦付添料(昭和四六年五月一七日から同年九月二日までの北条医院入院期間中の分)一八万二九五〇円

(2) 妻の付添料 三六万三〇〇〇円

一日当り一〇〇〇円として三六三日分(名倉病院一〇八日、国立伊東温泉病院二五五日)

(四) 消極損害 一六八二万八〇五〇円

(1) 休業損害 六二五万五四五〇円

原告虎秋(明治三九年一一月二九日生、事故当時六四才六月)は原告きみ、原告国雄と共に、東京都内に三軒しかない七・五・三祝堀表付加工を主たる業務とし、他に草履の鼻緒すげの仕事をしてきたものであり、一年間の収入は、七・五・三祝堀表付加工によるものが一九七万四九九五円、草履の鼻緒すげによるものが一一一万四〇〇〇円で、合計三〇八万八九九五円であった。このうち原告虎秋の労働寄与分は三分の二を下らないので、原告虎秋の年収は二〇五万九三三〇円(月収一七万一六一〇円)となるところ、原告虎秋は昭和四六年五月一八日から現在にいたるまで全く稼働できない状態であるが、一応昭和四九年六月三〇日までの三年と一四日分の休業損害は六二五万五四五〇円となる。

(2) 逸失利益 一〇五七万二六〇〇円

原告虎秋は事故当時健康体であったから、昭和四七年七月一日以降も六年間は就労可能であったのであるが、今後も全く稼働できない状態が続くことは明らかである。よって年収二〇五万九三三〇円として、新ホフマン式により中間利息を控除した逸失利益の現価は一〇五七万二六〇〇円となる。

(五) 慰藉料 五一〇万円

(1) 傷害による慰藉料 二〇〇万円

(2) 後遺症による慰藉料(三級) 三一〇万円

(六) 弁護士費用 五〇万円

原告虎秋は昭和四六年六月一〇日原告訴訟代理人らに対し、本件訴訟を委任し、費用及び報酬として五〇万円を支払う旨約し、損害を受けた。

(七) 損害の填補 六五〇万〇一三九円

原告虎秋は、被告から治療費等として二五八万〇一三九円、自賠責保険から後遺症補償費(三級)三九二万円、合計六五〇万〇一三九円の填補を受けた。

2 原告きみ、原告国雄の各損害

(一) 固有の慰藉料

原告きみは原告虎秋の妻、原告国雄は子であるが、原告虎秋の後遺症は前記のとおりであって、あかるかった家庭もくらくなり、原告きみ、原告国雄の精神的苦痛は甚大である。

よって固有の慰藉料として、原告きみは一〇〇万円原告国雄は五〇万円をそれぞれ請求する。

(二) 弁護士費用

右原告両名は昭和四九年五月二〇日原告訴訟代理人らに本件訴訟を委任し、費用並びに報酬として、原告きみは七万円、原告国雄は三万円を支払う旨約し、損害を受けた。

四  結び

よって被告に対し損害賠償として、原告虎秋は右の損害の範囲内で一八七八万二二六九円、原告きみは一〇七万円、原告国雄は五三万円及び各金員に対する訴状送達の日の翌日以降各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(抗弁に対する答弁)

原告虎秋に過失があったこと、被告並びに内田義光に被告車の運行に関し過失がなかったこと及び被告車に構造上の欠陥または機能の障害がなかったことは否認する。

第三被告の主張

(請求の原因事実に対する答弁)

一1  請求の原因一の1ないし4の事実は認める。

2  同一の5の事実中被告車が原告自転車に衝突したことは認める。具体的態様は否認する。

3  同一の6(一)の事実及び(二)の(1)(2)の事実は認め(但し(2)の退院後の通院期間は不知)、(二)の(3)(4)(5)の事実は不知。(二)の(3)(4)と(5)の(ロ)は原告虎秋の症状固定の日(昭和四七年二月二一日、甲第三号証参照)経過後のものであるばかりでなく、担当医師の指示によるものでもないうえ、本来の傷病治療を目的とするものでもないので、本件事故と何ら因果関係を有しない。

同一6の(三)の後遺症の存在は不知。原告虎秋は第六、第七頸椎部に著明な変形性脊椎症を有するが、これは事故前から存在する経年性のもので、本件事故と直接の因果関係を有しないものである。原告虎秋の現症状には、本件事故前から存在する右の変形性脊椎症が少なくとも三〇%程度寄与しているものであるから、全損害につき三〇%減額をすべきである。これは、裁判例の一般的傾向である。

二  請求の原因二の事実は認める。

三(一)  請求の原因三―(一)の事実中(1)ないし(4)の事実は認め、同(5)(6)(7)の事実は否認する。右(5)(6)(7)は前記のとおり症状固定後のもので本件事故と因果関係がない。

(二)  同三―(二)の入院雑費としては北条医院、名倉病院の入院期間中の雑費として二一八日分(一日二〇〇円)四万三六〇〇円のみ認める。国立伊東温泉病院の入院は前記のとおり本件事故と因果関係がないので入院雑費の基礎ともなり得ない。

(三)  同三―(三)(1)の事実及び同(2)のうち名倉病院一〇八日分一〇万八〇〇〇円のみ認め、国立伊東温泉病院二五五日分は否認する。国立伊東温泉病院への入院は前記のとおり本件事故と因果関係がないので入院付添費の基礎ともなり得ない。

(四)  同三―(四)の事実は不知。原告らの家業収入における原告虎秋の労働寄与率は三分の一程度であり、また光熱費修繕費、間接諸経費として収入の二〇%程度を見込むべきである。消極損害としては、休業損害三〇〇万円、将来の喪失利益三五〇万円をこえることはない。

(五)  同三―(五)の慰藉料は傷害によるもの一〇〇万円、後遺症によるもの三一三万六〇〇〇円程度である。慰藉料の算定に当っては、本件事故と因果関係のない前記治療経過分を算定の基礎とすることはできない。

(六)  同三―(六)の事実は不知。

(七)  同三―(七)の事実は認める。

四  請求の原因三2(一)(二)の事実は不知。民法七一一条は死亡の場合のみ適用すべきものである。仮りに同条は死亡にも比肩すべき程度の重い傷害の場合にも適用があるとしても、原告虎秋の傷害がかかる重大なものでないことは明白であり、被害者本人たる原告虎秋の慰藉料を肯認すれば足りることである。また原告虎秋の現症状は、本件事故と因果関係を有しない前記の既存疾病と後記原告虎秋の重大な過失に起因するものであるから、右固有の慰藉料の請求は信義則に反し許されない。

(抗弁―免責、過失相殺)

原告虎秋は自転車を操縦して三ノ輪方向から浅草六丁目方向へ歩道上を進行してきて、ガードレールのきれ目から車道に進入し本件事故現場道路を横断して言問通り方向へ進行しようとしたものであるが、おりから車道の三ノ輪方向から浅草六丁目方向への第一通行帯上にダットサン貨物自動車が停車していた三ノ輪方向への見通しを妨げており且つ三ノ輪方向から浅草六丁目方向へ、被告車が時速四〇キロの速度で、衝突地点から約一四・五メートル三ノ輪寄りの至近距離に接近しているにもかかわらず、車道上の車輛の走行状況を確認することもなく、また何らの右折等の合図もしないで、ガードレールの切れ目の部分から車道に進入し、停車中の前記ダットサン貨物自動車のかげから漫然かつ急に、被告車の直前にとび出してきたものである。被告車運転者内田義光は急制動の措置をとったが及ばず本件事故に至ったものである。以上の次第で本件事故は原告虎秋の一方的過失に起因するものであり、被告及び内田義光には被告車の運行に関し過失はない。また被告車には本件事故と因果関係のある構造上の欠陥または機能の障害はなかった。

よって被告は自賠法三条但書により免責される。仮りに原告虎秋が被告車の左側を並進していて急に右折したとしても右の抗弁は推持できる。

仮りに免責の抗弁が理由がないとしても、原告虎秋の重大な過失は、損害の算定に当り充分に斟酌されなくてはならない。

第四証拠≪省略≫

理由

一  事故の発生、責任原因

原告ら主張の日時、場所において、原告虎秋操縦の足踏自転車と内田義光運転の被告車とが衝突し、原告虎秋が負傷したこと及び被告が被告車の運行供用者であることは当事者間に争いがない。

してみると、被告は自賠法三条但書により免責されない限り、同条本文に基づき、原告虎秋の負傷による損害を賠償すべき義務を負うものである。

二  免責、過失相殺

≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。

(一)  事故現場の状況、原被告車の状況

1(イ)  本件事故現場道路は、三ノ輪方面から浅草六丁目方面へ通じる幅員約一六・六メートルの幹線道路で、上下各二車線、道路中央にはセンターラインの表示があるほか、車線区分の表示がある。

(ロ) 本件道路は市街地に位置し、平坦で舗装されており、見通しはよく、交通量は多い。本件道路の制限速度は時速四〇キロメートルである。そのほか、とくに交通規制は存しない。本件事故当時は、路面は乾燥していた。

(ハ) 本件道路の左右両端には幅員約二・七メートルの歩道があり、歩道と車道との間にはガードレールが設置されている。本件事故発生地点の浅草方面に向って左側に島牛乳店及び同店車庫があるが、その前でガードレールが約五メートル程切れている。

(ニ) 本件道路には浅草方面に向って右側に、言問通り方面へ通じる幅員約八メートルの道路がほぼ直角に丁字交差している。

2  本件衝突事故後、被告車は路面にスリップ痕(左前輪約一〇・二メートル、右前輪約一一・〇メートル、左後輪約九・三五メートル、右後輪約一二・七メートル)を残して浅草六丁目方面に向う第二車線上に停止した。被告車の停止位置の周辺にはガラスの破片が散乱しており、被告車の停止位置の約一一メートル前方には原告車が横転していた。

3  被告車のフロントガラスは破損脱落し、左前部フェンダーとボンネットは凹損した。原告車は、右側チエンカバー中央附近が打損しているほか、ハンドル、サドル等が損傷した。

4  本件事故当時、浅草六丁目方面に向って左側の第一車線上の島商店車庫前附近に二台の自動車が一列に浅草六丁目方面へ向って駐車していた。

(二)  原被告車の動静

1  原告虎秋は三ノ輪方面から浅草六丁目方面へ本件車道の第一車線上を、足踏自転車を操縦して本件事故現場に至り、前判示島商店車庫前附近車道上に駐車していた二台の自動車の右横を通過し、言問通り方面へ右折しようとしたものであるが、おりから、同方向の第二車線上後方約一三・六メートルに被告車が接近しているにもかかわらず、何らの右折等の合図をしないまま、右折を開始したため、第二車線上で被告車と衝突した。

2  内田義光は被告車を運転して三ノ輪方面から浅草六丁目方面へ、本件車道の第二車線上を時速約四五キロメートルの速度で進行してきて、浅草六丁目方面へ直進しようとしたものであるが、折りから同方向第一車線上を進行したきて前記駐車車輛の右横を並進し、第一車線から第二車線へ進入して言問通り方面へ右折しようとしている原告虎秋操縦の足踏自転車を、前方約一三・六メートルの位置にはじめて発見し、若干右転把し、急制動の措置をとったが及ばず、第二車線上で、被告車の左前部附近を原告足踏自転車の右側中央附近に衝突させ、原告虎秋を被告車のボンネットの上に横転させ、被告車フロントガラスを破損し、原告虎秋を前方約九・七メートルの第二車線上に転落させ、前判示スリップ痕を路上に残して、前方約四・八メートルの位置に停止した。

3  以上の事実が認められる。被告は、右認定の一部に反し、原告虎秋操縦の足踏自転車は三ノ輪方面から浅草六丁目方面に向って左側の歩道上を進行してきて、前判示ガードレールの切れ目の部分から本件車道に進入した旨主張し、証人内田義光も、右主張に副う供述をしているが、右供述部分は≪証拠省略≫に照らし措信できず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(三)  右事実によると、本件事故は、被告車運転者内田義光の原告車を発見するにつき遅滞があった過失と原告虎秋の後方確認義務、右折合図不履行の過失が相まって発生したものというべきである。してみると、被告の免責の抗弁は、その余の点について判断を加えるまでもなく理由がないが、被告に支払を命ずべき損害賠償額の算定に当っては、原告虎秋の右過失を三割五分程度斟酌するのが相当である。

三(一)  原告虎秋の傷病名

請求の原因一6(一)の事実は当事者間に争いがない。

(二)  原告虎秋の治療経過

(1)  北条医院。原告虎秋が昭和四六年五月一七日から同年九月三日まで一一〇日間、同院で、本件事故による負傷の入院治療を受けた事実は当事者間に争いがない。右争いのない事実と≪証拠省略≫を総合すると、同院での治療経過に関し、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

原告虎秋は本件事故により、頭部外傷、脳震盪症、前額部血腫並びに挫創、右前腕後部挫創、左前腕手部挫創、両上肢・両下腿・右膝関節・胸部・腹部・右大腿部等の全身打撲症の傷害を受けた。また頭腔内出血の疑いを持たれ、同院での入院当初には脈搏微弱、意識混濁の状態であった。右前腕後部を六針、右前額部を二針縫った。頭部、両前腕手部、両肩、両下腿、両大腿部の各エックス線撮影を受けた。原告虎秋は外傷部の疼痛、主として両下腿、両大腿の疼痛、腫張や両上肢の疼痛、しびれ感、排尿困難等を訴え、殊に両上肢のしびれ感を終始訴えている。湿布、投薬、注射、マッサージ等の治療を受けた。同年八月六日に至り両肩部関節等のエックス線撮影を受けている。しかし同院での入院中、頸部のエックス線撮影が行われた形跡は認められない。また頭控内出血があるとの前提での治療が行われた形跡もない。

原告虎秋の両上肢のしびれ感、疼痛等を中心とする症状は治癒しないまま名倉病院の治療を受けることとなった。

(2)  名倉病院。原告虎秋が昭和四六年九月三日から同年一二月二〇日まで一〇八日間、同院で、本件事故による負傷の入院治療を受けた事実は当事者間で争いがない。右争いのない事実と≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

① 原告虎秋は前記北条医院入院中の昭和四六年八月三〇日に名倉病院で診察を受け、同年九月二日までの間通院治療(実日数三日)を受け、同年九月三日から同年一二月二〇日まで一〇八日間同院で入院治療を受け、退院後は昭和四七年七月頃まで同院で通院治療を受けた。

② 原告虎秋は昭和四六年八月三〇日の同院での初診時には主として両手指のしびれ感、運動障害、両下肢殊に両足背のしびれ感等を訴えた。原告虎秋の右症状は同院での治療期間中、程度の差はあれ、概ね終始継続した。同院での治療期間中に頭部、脊椎(頸椎、胸椎、腰椎)、肩部、肘部のエックス線撮影、脳波、握力検査、筋電図、脊髄造影、髄液検査等が行われた。脳波には異常はなかった。しかし第五、第六頸椎に著明な変形が認められた(甲第一号証の三に第六、第七頸椎変形と記載してあるのは後記名倉供述に照らし誤記と認める。)。同院医師の証人兼鑑定人名倉公雄の供述によると、右の変形は、正常な形の半分位に変形が強い、骨がつぶれている、高度の変形である、右の変形自体は骨の老化現象によるもの、いわゆる(老人性)変形性頸(脊)椎症であると認められる。

③ 原告虎秋は同院で、牽引、ギブスベット、コルセット装着、投薬、注射、マッサージ、理学療法(熱気浴、通電等)、機能訓練等の措置を受けたが、前記症状は容易に軽快せず、前記名倉医師は昭和四七年六月一二日の時点で、原告虎秋には第六、第七頸(脊)髄症状が認められ、具体的には、両側撓骨・尺骨・正中諸神経の知覚異常、肩から指先に至る両側性の諸骨格筋萎縮・諸関節拘縮・筋力低下、膝蓋腱・アキレス腱反射両側亢進が認められる、また両上肢の運動制限が著明である、両下肢の不全麻痺がある、右症状は同年二月二一日頃から軽快していない旨診断した。原告虎秋は右症状の他両上肢の自発痛、運動痛を訴えている。

(3)  国立伊東病院。≪証拠省略≫によると、原告虎秋は右負傷の治療のため、昭和四七年一二月一二日から昭和四八年八月二七日まで二五五日間同院に入院した事実が認められ、これに反する証拠はない。

(4)  ≪証拠省略≫によると、原告虎秋は請求原因一6(二)④⑤各記載の医療機関でも治療を受けた事実が認められ、これに反する証拠はない。

(5)  原告虎秋は昭和四八年九月一一日の本人尋問期日において、当時の症状について、現在は両肩から手の先までと両足がしびれる、右手で箸を持つことはできるが全然はさむことはできない、フォークかスプーンで食事をしている、字は全然書けない、一〇分と立っておれないと供述しており、また原告きみは昭和四九年七月二日の原告きみ本人尋問期日において、当時の原告虎秋の症状について、前記原告虎秋本人尋問期日当時の同人の右症状よりもさらに悪化している、手洗にもついて行く状態である旨供述している。

(三)  原告虎秋の本件事故前の健康状態

≪証拠省略≫によると、原告虎秋は、明治三九年一一月二九日生(事故当時六四才六月)ではあるが、本件事故以前は健康で、長きに亘り、家業の七・五・三祝用のぽっくりの加工、草履の鼻緒すげ等の履物加工の仕事に専念し、自転車を乗りまわしていた程で、通常の生活を続けてきたものであり、また原告虎秋自身は老人性変形頸(脊)椎症の存在すら意識していなかったものと認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(四)  原告虎秋の後遺症状

右に見た原告虎秋の傷病名、治療経過、本件事故前の状態に、≪証拠省略≫をも参酌すると、原告虎秋には、本件事故による外傷に起因して、長期に亘る治療にもかかわらず、両上肢の知覚異常、拘縮、運動制限、両下肢の不全麻痺等、概ね前記(二)(2)③記載の高度の頸(脊)髄症状が後遺症として残存し、生命維持に必要な身の廻りの処理の動作は可能であるが、終身にわたり前記履物加工等の、およそ経済的価値として評価することのできる労働に服することはできない状態にあるものと認められる。

尤も、原告虎秋の右現症状は右に見たとおり、第六、第七頸(脊)髄症状として顕現しているものであるが、原告虎秋には、本件事故前から第五、第六頸(脊)椎にいわゆる老人性変形性頸(脊)椎症が存在していたことも事実であり、頸部にかかる負因を有する被害者が交通事故によって頸部に外力を受けると、正常人に比べ、予想以上に症状の増悪を見ることのあり得ることも一般に承認されているところである。したがって被告の主張するように、原告虎秋に本件事故当時、右の老人性変形性頸(脊)椎症がなければ、右に見たほど重大な現症状をもたらすことはなかったということも可能性として全く否定し去ることは到底できない。この意味において、原告虎秋の右現症状全体は本件事故による外力と原告虎秋の右の老人性変形性頸(脊)椎症とが競合した結果であるとの可能性もあり得るところである。

しかし、前判示のとおり、原告虎秋は本件事故前は、右の老人性変形性頸(脊)椎症の存在にもかかわらず、むしろ老人性変形性頸(脊)椎症の存在すら意識しないで、長きに亘り前記履物加工の家業に専念し、通常の生活を営んできたものである。したがって、本件事故による外力が加わることがなければ、右のような高度の現症状を呈することはなかったものと判断できる。すなわち本件事故がなくても、肩が凝ったり、くびすじがつったりすることは日常的に多分にありえても、かぜをひくとか、軽度の打撲傷を負うとかいった、日常生活の些細な出来事がきっかけとなって、右のような現症状を呈するということはないのである。

してみると原告虎秋の右の現症状は、少なくとも本件事故による外力を主因として発生したものと判断できる。その結果老人性変形性頸(脊)椎症の存在にもかかわらず、極く日常的に、営まれてきた通常の生活が侵害されたものである。回復されるべき法益は、右症状の存在にもかかわらず営まれてきた通常の生活である。以上の次第であるから被告は原告虎秋に対し、原告虎秋の現症状に基づく全損害を、本件事故と相当因果関係のある範囲に属するものとして、これを賠償すべき義務を負うものである。

被告の主張するように、従来、例えば原告虎秋の老人性変形性頸(脊)椎症のような被害者の持つ潜在的負因が症状の発生増悪に原因力を与えている(寄与している)場合、これを理由に損害額を減額する傾向のあったことは確かである。そして損害賠償制度を指導する公平の原則に照らし、このような考え方の妥当する領域のあることはもとよりである。しかし、右にいう被害者の持つ潜在的負因が症状の発生、増悪に原因力を与えるに至ったこと自体に、加害者の責任領域に属する交通事故が原因力を与えている場合にまで右の考え方を適用することはかえって公平の原則にもとるものといえよう。右の考え方は先に見たとおり、潜在的な負因が、交通事故による外力を待つまでもなく、日常生活の些細な出来事がきっかけとなっても、顕現することのあり得るような場合等の如く、適正にその適用の場面を限定すべきものと思料する。これに反する被告の法律上の主張は採用しない。

四  原告虎秋の損害

(一)  治療費

請求の原因三1(一)(1)ないし(4)の事実は当事者間に争いがない。≪証拠省略≫によって同(5)(6)(7)の事実が認められる。被告は右(5)(6)(7)の本件事故との因果関係を争うが、前判示原告虎秋の治療経過、症状に照らし、右(5)(6)(7)の治療ないし機能回復訓練、あるいは後遺症の対症療法を要したものと判断できるので、本件事故との相当因果関係を肯定し得る。右認定判断を左右するに足りる証拠はない。右合計は二三〇万六四〇八円となる。

(二)  入院雑費

前判示のとおり、原告虎秋は、北条医院に一一〇日間、名倉病院に一〇八日間、国立伊東温泉病院に二五五日間、合計四七三日間入院治療を受けたものであり、少なくとも原告虎秋の主張する一日当り二〇〇円を下らない雑費を要したものと推認できる。その合計は九万四六〇〇円となる。

(三)  入院中の付添看護費

請求の原因三1(三)(1)の事実(北条医院の分一八万二九五〇円)、同(2)のうち名倉病院一〇八日分一〇万八〇〇〇円については当事者間に争いがない。右合計は二九万〇九五〇円となる。≪証拠省略≫によると、国立伊東温泉病院での入院治療は、原告虎秋の機能回復訓練に主たる目的があったものと推認でき、右の目的に照らすと、にわかに、付添の必要性を肯定することはできず、他に付添の必要性を認めるに足りる証拠はない。

(四)  消極損害

≪証拠省略≫によると、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。原告虎秋は明治三九年一一月二九日生(事故当時六四才六月)の男子で、妻の原告きみ(大正九年七月五日生)、子の原告国雄(昭和二二年八月四日生)と共に七・五・三祝用のポックリ表の加工、草履の鼻緒すげ等の履物加工の家業に専念してきたものであり、事故前年度である昭和四五年度の右家業による収入は、ポックリ表加工によるものが概ね一六〇万円位(甲第六号証の一ないし七のうち甲第六号証の四には昭和四六年度の分三五万八二六五円が含まれており、これを控除した甲第六号証の一ないし七の合計額は一六一万六七三〇円となる。)、草履の鼻緒すげによるものが概ね一一〇万円位で、右合計年収は二七〇万円位であった。そして右各供述によって認められる原告虎秋とその余の原告らの経験、家業における役割(単に肉体的労働力のみで寄与率を判断すべきではない。)、予想される経費等を斟酌すると、右のうち六割に相当する年収一六二万円が原告虎秋の労働によるものと推認できる。そして前判示本件事故前の原告虎秋の健康状態と右職種に照らすと、原告虎秋は本件事故にあわなければ、尚平均余命の範囲内において、昭和四六年五月一七日以降八年間程度は右の職業に従事し右程度の収入をあげ得たものと推認できる。しかるに原告虎秋は本件事故により前判示のとおり、労働能力の一〇〇%を喪失するに至ったものである。よってライプニッツ式により中間利息を控除(係数六・四六三二)した本件事故時の右消極損害の現価は一〇四七万〇三八四円となる。尚右履物加工賃も年々値上りしているものと推認できるので、おしなべて原告虎秋の労働能力喪失による損害を右の程度に評価することは、控え目の算定の範囲内にあるものと判断できる。

(五)  右(一)ないし(四)の原告虎秋の財産的損害の合計は一三一六万二三四二円となるが、原告虎秋の前判示過失を斟酌し、原告虎秋は被告に対し、このうちほぼ六割五分に相当する八五五万五五二二円を請求し得るにとどまるものとするのが相当である。

(六)  慰藉料

前判示事故の態様、原告虎秋の過失の程度、原告虎秋の傷害の部位・程度、治療経過、後遺症の程度、職業、年令その他本件口頭弁論に顕われた諸般の事情を斟酌すると、原告虎秋の慰藉料としては四五〇万円が相当である。

(七)  損害の填補

原告虎秋の損害のうち六五〇万〇一三九円が填補済であることは当事者間に争いがない。

(八)  弁護士費用

弁論の全趣旨によると原告虎秋は本訴の訴訟追行を弁護士である本件原告訴訟代理人らに委任し費用並びに報酬を支払う約束をしていることが認められ、本件訴訟の審理の経過、難易度、認容額その他の事情によると被告に支払を命ずべき弁護士費用の昭和四七年九月六日の現価は原告虎秋主張の五〇万円を下らない。

(九)  以上未填補の損害は合計すれば七〇五万五三八三円となる。

五  原告きみ、原告国雄の損害

(一)  固有の慰藉料

前判示事実によると原告虎秋は、被告の業務を執行中の被告従業員内田義光の過失による本件事故によって、前三(一)記載の傷害を負い、同(二)記載の長期の治療を余儀なくされ、同(三)記載の高度の頸(脊)髄症状を残す後遺症状が残存し、生命維持に必要な身の廻りの処理の動作は可能であるが、終身に亘り労働に服し得ない状態にあるものである。そして≪証拠省略≫によると、原告きみは原告虎秋の妻、原告国雄は原告虎秋の子であって同居しているものである。してみると原告きみ、原告国雄は原告虎秋の身近にあって、原告虎秋が生命を害された場合にも比肩すべきまたは右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたものと認められるので、原告きみ、原告国雄は被告に対し、自己の固有の権利としての慰藉料請求権を有するものというべく、本件口頭弁論に顕われた諸般の事情(被害者側の過失としての原告虎秋の前記過失を含む)を斟酌すると、原告きみの右慰藉料は四〇万円、原告国雄の右慰藉料は二〇万円とするのが相当である。

(二)  弁護士費用

弁論の全趣旨によると原告きみ、原告国雄は本訴の訴訟追行を弁護士である本件原告訴訟代理人らに委任し費用並びに報酬を支払う約束をしている事実が認められ、諸般の事実に照らすと被告に支払を命ずべき弁護士費用の昭和四九年六月二〇日の現価は原告きみの分として四万円、原告国雄の分として二万円とするのが相当である。

(三)  以上、原告きみの損害は四万円、原告国雄の損害は二二万円となる。

(四)  被告の答弁四での主張については既に判示したところから明らかなとおり理由がない。信義則に反する旨の法律上の主張は採用しない。

六  結論

以上のとおりであるから、原告虎秋は被告に対し損害賠償として七〇五万五三八三円及びこれに対する本件事故後であって甲事件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四七年九月七日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができ、原告虎秋の甲事件請求はこの限度で認容し、その余は失当として棄却する。また被告に対し損害賠償として、原告きみは四四万円、原告国雄は二二万円及び各金員に対する本件事故後であって乙事件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四九年六月二一日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができ、右原告両名の乙事件請求はこの限度で認容し、その余は失当として棄却する。

よって訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、九四条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宮良允通)

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